こんにちは。ideal きよさわです。
Beauty marketing対談では、ideal のパートナーである“キレイのプロ”をお招きしてビューティー業界のお仕事内容や愛されブランドづくりの秘訣をご紹介します。
2023年第一弾の“キレイのプロ”は、ファッションディレクター として常に第一線で活躍されていらっしゃる若槻せつ子先生です。
若槻先生は現在、KIMONOドレスブランド「ローブ・ド・キモノ」を手掛ける、ファッションディレクターをしてらっしゃいますが、実は、長年、アパレルブランドのコンサルティングに携わっていらっしゃいました。私が社会人になりたての時から非常にお世話になっている恩師の方です。
20年前から、日本の着物文化の素晴らしさを伝え、着物の文様や色の持つ意味の力を伝えていくためにKIMONOドレスを手がけていらっしゃいます。
「KIMONOの素晴らしさをもっと知りたい」「祖母や母の着物を大切に受け継いでいきたい」「思い出の着物を新しいドレスにリメイクしたい」「誰も着ていないドレスを着たい」「KIMONOの美しさを国内外の方々にもっと知って欲しい」「打掛やKIMONOドレスの展覧会を企画したい」という方にぜひご覧いただきたい内容です。
目次
コラボ対談者(登場人物)
ideal 清澤美子(きよさわ)。
“愛されブランドづくり”のための商品企画、その商品を販売するスタッフ育成のコンサルティングを行なっています。「喜ばれることに喜びを…そしてその先へ」をモットーにしています。ホームページはこちら。Instagramはこちら。
ファッションディレクター 若槻先生
匠の技や和の文様の意味など日本古来の文化を今に伝えるために、和装の艶やかな伝統美と洋の感性を融合させたKIMONOドレスブランド「ローブ・ド・キモノ」を展開しています。ホームページはこちら。Instagramはこちら。
KIMONOドレス業界でファッションディレクターをしている若槻先生との対談内容
KIMONOドレス業界でファッションディレクターをしている若槻先生との対談内容を記事にまとめました。
日本初の二ットデザイナー!?ファッション業界の運命を変えた女性の歴史に迫る!
今回は2023年に入って、第一弾となるキレイのプロです。新しい年の門出としてKIMONOドレスブランド「ローブ・ド・キモノ」を手掛ける、ファッションディレクターの若槻先生をお迎えしました。私が社会人になりたての時からお世話になっている恩師の方です。
若槻先生、自己紹介をお願いします!
若槻せつ子と申します。現在、神宮前でKIMONOドレスブランド「ローブ・ド・キモノ」というサロンを開いています。
今は主にオリジナルドレスの作成をしたり、企業からご依頼があれば打掛やKIMONOドレスの展覧会や講演を行っています。以前は、海外の方からご依頼もあり、ショーを開催したりしました。
だからですね。国内外の雑誌社の方々が、若槻先生のKIMONOドレスの特集を組んでくださっていますよね。また先日も日経新聞に先生の記事が掲載されていて、びっくりしました!
そうなの。ポーラミュージアムアネックスさんの展示会を観て、日本の美しい伝統を伝えていきたいと仰って、取材に来てくださったんですよ。
展示会で、ステキな出会いがあったんですね!
若槻先生は、元々はデザイナーを経て、ファッションディレクターでいらっしゃいますよね?
そうなの。なんか格好いい名前ですよねww
人形町の問屋に山本耀司さん(ヨウジヤマモトさん)がいると聞いて入社したんです。当時はニットとは言わずメリヤスと言ったんですけどね^^
その当時、業界ではニットのデザイナーは珍しいと聞いたことがあります。
そうそう。当時は布帛(ふはく)のデザイナーばかりでした。私も布帛しか勉強していなかったから「メリヤスは出来ません」と言ったのに、「教えるから大丈夫」だと騙されて入社したの。
えっ!騙されたんですか?
そう。教えてもらえる時間なんて全くないの。だから当時の課長に「地方のニット工場で勉強したいので出張させてくれませんか?」と直談判して、5時半に起きて朝一番の汽車で行って、夜遅くに帰ってくるという生活を1年間続けたの。
すごくハードな生活ですね…!
今考えるとそうですよね^^
でも出張先の工場の方がとてもよくしてくれたので1年間でニットに関する技術をほぼマスターできたんです。
その1年間でニットについてのスキルや知識を初めて学んだんですね。
はい、そこそこおかげさまでね。
そこからどのような展開があったんですか?
当時、私は痩せていたのでロペというブランドをよく着ていたんですよ。なのでロペで働きたいと思って面接に行きました。
ロペというと、いまでも多くのOLさんに人気のブランドですね。
でも面接の結果、その時、新しく立ち上げようとしていたJ&Rという新ブランドに入ることになったんです。
確か、ロペやJ&Rというのは元々は布帛メインのブランドでしたよね。若槻先生が入社されてから、ニットも含めてトータルコーディネートできるブランドに転換されたんですか?
もともとそのブランドでは、セーターは展開していたの。だけど、私はセーターではなく、カットソーのスーツや布帛とニットの異素材での組み合わせや色合わせなど、今までにない様々なものをデザインさせてもらったのよ^^
なんだか、和製ココ・シャネルみたいですね!
それほど大したことはしてないですよ^^
でも当時はニットデザイナーというものがいなかったから、私はニットを勉強したことで運命が変わったように感じます。
そうなんですね!
業界では新しい存在だったということですね!
そういうことかな? 当時、布帛は当たり前だったけどね。
でもその後、私の父が「女が残業するのはダメだ」「社長を出せ」とトラブルになってしまったんです。それで困ってしまって高島屋の募集を受けたんですよ。
そんなことがあったんですね…!
高島屋の試験では、最後に残った5人でパターンを作る試験があったんだけど、「私はパタンナーになる気はありませんので」と伝えて、部屋を退出したんですよ。
え、退室してしまったんですか!?
でも部屋を出たところで面接担当者の方に呼び止められて、「あなたのことを欲しいと言ってるブランドがあるから来てほしい」と言われて、別の部屋に通されたの。
すごい話ですね!
父のことも考えて、大手百貨店なら安心するだろうと思って、高島屋のデザイナーになったの。その頃は百貨店と雑誌がコラボしていたので、普通のデザイナーではなく、雑誌の企画に合わせたデザインやトータルディレクションの仕事に多く携わってきたの^^
なるほど、だからファッションディレクターという名前なんですね!
そうそう。布帛だけとかニットだけではなくて、トータルでコーディネートのお仕事をしてきたんです。
私は先生がコンサルタントになってからしか出会ってないので、今日初めて先生の歴史を聞いて、感動しました^^
ありがとうございます!
<若槻先生の仕事>
日本の文化に新たな魂を吹き込む!KIMONOドレス誕生秘話
たくさんの経験を踏んで、独立されたんですね。独立後は何社もコンサルティングされていたんですよね?
はい、そうですね^^
基本的にはメイン5社ほどですね。そこにプラスしてスポットで入るところもありました。当時は打掛やウェディングドレスの販売とレンタルをしていた京都の老舗企業のウェディングドレス部門の顧問をしていたんですよ。
先生はアパレル業界だけでなくて、ブライダル業界でもコンサルをされていたんですね!
現在、KIMONOドレスというこれまでとは異なるジャンルにチャレンジされていますが、その会社とご縁があったことがキッカケですか?
そうなんです。たまたま兄の娘が結婚することになった時に、そこで唐織の打掛を借りようとしたら「レンタル料が200万から300万円かかる」と言われたんですよ。
レンタルで!?
さすがに少しまけてもらいましたけどねww
でも2年後、その会社に行った時に驚愕の出来事があったの。
何があったんですか?
あの高価なイメージのある打掛が、無造作に絨毯の上に置いてあったんです。
ええっ、衝撃的ですね…。
どうしたのかと聞くと「バブルも弾けて地味婚になって、打掛を着る人が少なくなったので、海外のインテリアに売るんです」って言われたので、思わず「私に買わせてください」と言ったんですよ。
えっ!?
この出来事によって「私は何てバカだったんだろう」「日本の国にはこんなに素晴らしいものがあるのに私は海外のファッションばかりに目を向けていた」ということに気付かされたんです。日本人としてとても恥ずかしくなりました。
海外への流出を止めたい!そして、どうやって打掛を活かそうかなと思った時に「ドレスにすればいいじゃないか?!」という発想が浮かんだの。そこでKIMONOドレスが生まれたんです。
デザイナー魂がふっと湧き出てきたんですね!
和装感が強すぎると全く無理だと思ったので、KIMONOドレスではマーメイドドレスという斬新なデザインにしたんです。それが時代に合って人気が出たんです。
赤色や金色にはこんな意味があった!? 奥深い日本文化の世界
日本の着物文化の素晴らしさを次世代に伝えるためにスタートしたKIMONOドレスブランドもかれこれ20数年経ちます。お仕事ではどのようなことを大切にされていらっしゃるんですか?
やっぱり着物には日本人の美意識が凝縮されているんですよ。だから柄や色の一つ一つに意味があるのです。それを伝えたいという思いを大切にしています。KIMONOドレスをお選びになるお客様には必ず柄や文様の意味を説明するのよ。
着物の色や文様にはどのような意味が込められているんですか?
金色とか金箔って打掛には多いじゃないですか。昔は結婚式場に金屏風が立っていたのを知ってますか?
はい。以前、見たことがあります^^
金屏風というのは金箔ですからね。花嫁花婿を目立たすためじゃないんですよ。
そうなんですか?
あれは昔から好事魔多しといって、悪魔もやってくると言われているのよ。だから邪気を払って、結婚する二人を守ってくれるんです。金はそういう色なのよ。だけど今は金屏風なんてないのよね。本当の意味を知らないからよね。
そうですよね。だいぶ結婚式も簡略化されてきてますもんね。
あれだけの大きな金屏風というのはすごい金額だと思いますよ。だけどお嫁さんを守るという意味合いが込められているんです^^
あと…それこそ着物の打掛では当時赤系が多かったですよね。
赤色にはどういった意味があるんですか?
「赤」というのは太陽が昇ってきて一日が明けるところから生まれた色だと言われているんです。太陽がなければ生きていけないですし、血液がなければ生きていけないですよ。人類は火を使えるようになって文明が発達したと言われているので、赤色にはものすごい力があるの。
魔除けであり、幸せを呼ぶ色だと言われているのよ。
幸せを呼ぶ色なんですね。
私たちの時代は赤地に鶴の打掛がほとんどでした。
鶴は千年・亀は万年と言いますよね。昔の人は伊藤若冲さんのように動物や花などの自然をよく観察しているんです。鶴は生涯同じ鳥と添い遂げるということを知っているので、結婚式の衣装にふさわしい柄なのよ^^
ということは、日本人は自然界から教えてもらえるものを美学の中に入れ込んでいるということですか?
多いと思いますよ。
例えば、花も色んな花がありますよね。梅は寒い冬から最初に咲く花ですよね。松竹梅とか言いますが、梅は厳寒の中で誇り高く咲くので喜ばれる花なのよ。
梅が咲くのは2月ですもんね。
菊なんかは今でこそ仏様に備える仏花ですけど、皇室の紋章ですからね。ずっと置いておいても枯れないので延命の象徴でもあります。中国では仙花と言って、不思議な力を持っている花だと言われているの。
そうなんですね!
そういう意味では、自然の中から色んなことを取り入れて打掛は作られているのよ。
私、先生のこのお話を聞くのが大好きなんです^^
色や文様に込められた意味をお話しすると、お客様はどのような反応をされますか?
3つほど例をお話ししますね。
最近晩婚化しているということもあり、40代の夫婦から「今度結婚するんですが早く子供が欲しいんです」とご相談されました。それに対して「着物の絞りは子宝の縁起物なので、絞りをアップリケしたドレスがあるから着てみたらどうですか?」とアドバイスしました。
後になってそのご夫婦からは「子供を授かりました!」というご連絡をいただきました^^
すごいですね!
「ニュースキャスターになりたい」というご相談もありましたね。
段階を踏んでいく必要があるので、1年目は若草色を選びました。若草色というのは、自分の思っていることや願っていることに芽が出て形になるようにという願いが込められています。翌年には格が上がるようにと紫を進めました。そういう風にしてニュースキャスターになった方もいますよ。
皆さん絶対にご存じのあの方ですよね^^
それから「旦那さんに出世してほしい」という方もいらっしゃったので、格が上がるという紫のドレスを着てもらいました。後日「ロンドン支社に転勤になることになりました」というお電話をいただきました。
そんなこともあったんですね!
私は言い伝えが本当に叶うんだろうかという気持ちもあって、有名な女優さんに着てもらったりいろんな方に着てもらいましたが、必ず結果が出ますね。昔の人はまんざら嘘は言ってないんだなと感じます^^
素敵ですね^^
他にもどんな反応がありますか?
やっぱりお母さんやおばあちゃんの着ていた古いものは自分には関係がないと思っていたものをリメイクすると、全く違うものになるじゃないですか。
全く違うものになるから驚くし。喜ばれますよね。
そういう意味では袖や丈を短くする「リフォーム」ではないんです。KIMONOドレスのように新しい命を吹き込む「リメイク」をすると、世界に1着しかないドレスになるんですよね。
そうですよね。生まれ変わったオンリーワンなドレスに皆さん驚かれますよね。
若槻先生は、日本古来の方々が意味を持たせていた着物の文様や柄を受け継いで、お客様のハッピーをプロデュースされてきたんですね。ありがとうございます。
世界を代表する芸術家○○の打掛で新たなる挑戦に挑む
2021年に銀座のポーラミュージアムアネックスで開催された展示会には、コロナ禍でありながらたくさんのお客様が来場されていました。私も展示会を拝見した1人ですが、すごく感動しました!
若槻先生にとってどのような展示会でしたか?
昭和のバブル期に生まれたアートということで打掛をテーマに選びました。1980 年代後半から1990年代はじめに作られた打掛を展示したんですね。
なぜそのテーマにされたんですか?
バブルが弾ける前は贅を尽くしていたので、どの打掛屋さんも優秀な職人さんがいらっしゃいました。どこも「他には負けられない」と力を入れていたので、今では作ることができない技術のものばかりだったんですよ。
確かに! どの打掛も1枚の絵のようで素晴らしかったです。
バブル期はお金もかけられるし、伝統のスキルを持っていた方々が発揮する場所がたくさんあったということですね。
展示会をご覧になった方々からはどのような反応がありましたか?
連日会場にいたんですが一番多かったのは「これはどういう意味ですか?」とか「どういうテクニックなんですか?」などの質問が多かったです。それに丁寧に答えたのでとても喜んでいただきました。それを知った方がまた次の日に友人を連れて来てくれたりしましたね^^
ということは、「着物の意味や美意識を伝えたい」という先生が本来やりたかったことが、たくさんの方々に伝えられたということですね!
そうだと思います。
また自分にもすごくプラスになったのが、海外にいらっしゃった方や美術関係やファッション関係の仕事をしていた方々から国際的な目線でご意見やご感想をいただけたのがとても助かりました。
海外で美術関係のお仕事をしていた方やファッション関係のお仕事をしていた方ともお話しできたんですね!
そうなんです。その方が展示していたピカソの絵を使った打掛にすごく興味をもってくださったんです。
私も展示会で拝見しましたが、すごくインパクトがありました!
その方に「ピカソの打掛を使ってKIMONOドレスを作りたいんです」というお話をしたら「ぜひそれでニューヨークのメトロポリタン美術館で展示会をやりませんか?」と声をかけていただいたんです!
不可能なことかもしれないですが、そういう風に言われてすごくやる気が出ました。もう70過ぎてますが、頑張ってみようかなと思えたことはすごく良かったです!
ということは、今年いよいよ違う作品を拝見できるということですか?
今作っているところです。ただ、さすがに世界的に有名なピカソさんのですから、ものすごいこだわりがあって結構苦戦しています(汗)
パタンナーも苦戦しています。あれって全部相良(さがら)刺繍なんですよ。
え、すごい!ピカソのあの絵が刺繍になっているんですか?
知らない人が多いかもしれないけど、世界三大刺繍の一つである相良刺繍なんですよ。
そうだったんですね!
だからすごく貴重なものだし、やっぱり色んなテクニックや考え方が凝縮されているんです。「この部分でこういうのを作ってみようかな?」「この部分はこうしようかな?」と勉強になります。けど手ごわいですね(汗)
でもその打掛で出来たドレス、楽しみですね!
私、先生のチャレンジ魂、応援します!
今までは結婚式用のドレスレンタルというビジネスをやってたんだけど、今は好きなことをやっているからとても楽しいのよ^^
作りたいものを作っているのでお金にはならないけど、この晩年はありがたいなと思ってます。
海を越えてKIMONOドレスの魅力を伝えたい…喜寿の挑戦!
若槻先生の楽しいお話をもっともっとお聞きしたいところですが、今後どのようなお仕事をしていきたいですか?
私は今年、満で77歳になるんですが、喜寿のお祝いに海外での展示会を絶対にやりたいと思っています。まずはピカソの打掛で作ったドレスを携えて、海外の美術館で展示会をするというのが目標ですね。あくまでも目標です。
すごいですよね、77歳に見えないです!
もちろん国内でもやりたいんだけど、日本人ってどうしても海外で頑張った人の方を高く評価するから、まずは海外かなぁと思ってます。
今回の展示会で、着物の文様や柄や色、打掛の意味や歴史に対して興味を持ってくださっている方が非常に多いということが分かりましたよね。
そうですね。それをすごく実感しました。お医者さんとかもいらしていて、多くの方とお話しさせていただけました。
今後は国内外で展示会を展開していけるといいですよね。
本当にそうですね。
先生は年齢を重ねてもいつも新しいことにチャレンジをしてらっしゃいますよね。今日先生の歴史を聞いていても、若い時から新しいことにチャレンジされていたからこそ、常に業界の第一人者であると思いました。
いえいえ^^
私は、社会人になってから先生のチャレンジ精神にいつも感化されて、勇気をもらっていました。私ももっと頑張ろうと思いました。そして、これからも先生のチャレンジを応援させていただきます!
はい、頑張ります^^
1月の良き対談にご協力いただき、ありがとうございました^^
こちらこそありがとうございます!
<対談まとめ>
<対談の様子>
最後に
今回、ファッションディレクターである若槻先生に「日本の美意識が凝縮されたローブ・ド・キモノ」というテーマでお話を伺いました。
日本人が古来より動物や自然界を観察して得られた教えを美学にしていることや打掛の文様や柄に反映されている想いを知ることで、あらためて日本の美意識の奥ゆかしさを感じずにはいられませんでした。また、その美意識を「ローブ・ド・キモノ」という新しいカタチで国内外の方々に発信し、新たな挑戦をし続ける若槻先生のお姿に勇気と元気もいただきました。
そして、古き良き文化を受け継ぎ、新しいカタチを取り入れていくことは、まさに「愛されブランド」の秘訣ととても似ていると感じました。
若槻先生、年初めにぴったりな素敵なお話をありがとうございました。
皆様とともに2023年も笑顔あふれる1年にしていきたいと思います。
本年もどうぞよろしくお願いいたします。
idealは美容業界・ファッション業界の企業様、エステサロンの皆様の“愛されブランドづくり”のために、今後も川崎さんの協力を得ながら、ブランディングサポートを提供していきたいと考えています。“愛されブランドづくり”に関するご相談、ご質問があれば、ぜひこちらよりお問合せ下さい。